Google誕生
ガレージで生まれたサーチモンスター デイヴィット・ヴァイス/田村理香 訳
ども。
Google大好きな私にとっては、このタイトルの本は買わずにいられなかった。
Googleを徹底的に学びたいと思っている。
究極の検索エンジンをつくる!
ラリーペイジとサーゲイブリンは大学生の時にこのシステムを開発した。
Googleの物語を見ていこう
もくじ
はじめに(30m)
●究極の検索エンジンをつくる!
スタンフォード大学のヘネシー学長は
Googleには、どんな企業も太刀打ちできない技術的な強みがあると語っている。
Googleは、社内ですべてのパソコンを組み立てカスタマイズし、
それを使って検索を行ている。これはグーグル最大の秘密事項だ。
ありふれたPCを買いあさり、それを独自でつないでいるのだ。
ありふれたPCをつなぎ、巨大なネットワークを構築している。
これだけ大きなコンピュータシステムを動かしている企業はどこにもいない。
Googleは、ネットワークに余分なコンピュータを組み込んでおり、
何台消耗しても別のPCが起動するので、検索結果が確実に提供される。
ラリーとサーゲイは、いいハードウェアを作り上げてしまえば、会社の強みになることが分かっていた。
当時のヤフーやアルタビス(検索優良ベンチャー)もGoogleのこのシステムを断っている。
それくらい誰もこの企業が成長するとは考えていなかった。
●邪悪になるな
Googleの企業理念「邪悪になるな」に光を当てている本である。
Googleの検索エンジンを支えているのは、「技術革新を迅速に行う」という精神。
会社の役員会議でも一番これが重要な課題でほぼ毎回話し合われている。
この技術革新を最優先にさせなければならない。
これこそが、他社に打ち勝ち、先頭を走り続けるための理由だからである。
Googleでは、3人くらいの小さなグループで仕事を進めることが多い。
その他に、社員一人一人が、仕事時間の20%を、自分の一番興味あることを研究する。
「20%タイム」大学教授などもそうしており、学問の世界からもちこんだ。
不可能に思えることには、できるだけ無視の姿勢で(30m)
●イスラエルの高校生にグーグルストーリーを語る。
2003年9月のこと。数学に秀でたイスラエルの高校生に講演をした。
ペイジ「グーグルは大学の博士課程の時にうまれた」
「だけど、実は自分たちがなにをやりたいのかはっきりとは、わかっていなかった。
ウェブ上にあるすべてを自分のPCにダウンロードしたいと考えた。
教官にそれをするのに1週間かからないと思うよ。
そしたら、1年後にはそのうちのいくつかが実現してしまった」
「だから、楽観的に考えることは大事なんだ」
「こうしようと決めた目標に向かうには、ちょっと間抜けなくらいがいい。
『不可能に思えることは、できるだけ無視の姿勢で臨むこと』
これって本当に良い言葉。できるはずがないと思われていることに挑戦すべきなんだ」
ペイジ「サーゲイは、はじめ嫌な奴だとおもったが、途中から仲良くなった。
それから、本当に一生懸命やってきた。」
※インスピレーションを得るには。たくさんの汗(バースピレーション)が必要である
「休日も働きとおしだったし、一日中、何時間も働いた。
最終的には実を結んだけど、全く大変だった。
やはりすごく努力しなければならなかったからね。」
「スタンフォード大学で1日1万人が検索するようになった。
今、僕らはこのくらいの検索には対応できる。
だったらもっとコンピュータがあればもっとできるじゃないか。
もっとコンピュータが必要だな。こうやって僕らはやってきた。
そんなわけで僕らは会社を始めた。シリコンバレーという企業しやすい文化も良かった。
そして、どんどん成長していった。これがグーグルストーリーだ。」
「そしてもう一つ。僕がなぜこんなに興奮しているかわかるかい?
化学やテクノロジーはテコとして利用できるものが沢山ある。
ところがほとんどの人がそれに気づいていない。
新しいテクノロジーを使ってできることは沢山ある。僕らはほんの一例だよ。
二人のクレイジーな若者が世界に大きなインパクトを与えることができたのは、
インターネットの力、流通の力、そしてソフトウェア、コンピュータの力があったからだ。
他にもインパクト与えるものは沢山ある。君たちにはそれが期待されている。
●ロシアから自由を求めて
ブリンは反ユダヤ主義と差別から自由を求めて、家族とともにロシアから逃れてきた。
ブリン「世界は本当に変わった。当時はインターネットもなかったし、
このようにきれいな勉強環境もなかった。
君たちは、僕たち世代に持っていなかった多くの力を持っている。
それは、僕たちよりも早く成功しもっと多くを成しとげられるということです。
君たちにある一番重要なもの、それは、君たちの仲間です。」
●思わぬゲストの登場
生徒から質問のやり取りのなかから
・成功を収めるにはまず失敗をしなければならない。
・重要なプロジェクトとして「翻訳」がある
・グーグルの名前の由来は、大きな数字という意味
・検索エンジンが導き出す結果は「公平である」
・グーグルは検索されるたびにお金が入ってくる
最後にゴルバチョフ 旧ソ連書記長、シモン・ペレス 元イスラエル首相が登場
ラリートサーゲイの出会い(30m)
●知的決闘から終わりなき友情へ
1995年の春にあってすぐさま意気投合した。
サーゲイは数学の天才で、19歳で博士課程を終えると
スタンフォードの課す10試験を1回でですべてA成績でパス。
その後、教授と難なく共同研究をこなす。
自信に満ち溢れていて、健康的で思ったことは口にする。
一方でラリーは激しい競争を勝ち抜いてスタンフォードの博士課程に入学。
ただ、厳しい環境でやっていけるか不安をかかえていた。
二人は、知的な議論を日々重ねていた。
コンピュータや数学、未来についてなどなど。
ある考えが正しいことを説得ある方法で証明していく術を習得したことで
高い知性が身についていった。
●ラリー 最愛の父親の死を乗り越えて
2人には重要な共通点があった。
2人ともコンピュータの第二世代だった。
小学生のうちからコンピュータに接しており
家でも高度なPC、数学を使う両親に育てられた。
他にも共通点がある。通常の学校より学習速度が速い
モンテッソーリ学校で学んだことだった。
2人の父親はともに大学教授、母親はとおもにコンピュータ関連の仕事。
2人の家庭では学問は宝物として尊ばれていた。
ラリーがスタンフォードで2学期を迎えていた頃、
58歳で父親カールが亡くなった(肺炎をこじらせて)
実は、ラリーが8歳の時に両親は離婚していたらしい。
中学校のラリーは独立した思考者だった。
興味はあらゆるものにあり、「ものごとがどう動くか」を理解するのに夢中だった。
工学的なことだけでなく、社会的なこと、政府や政治など。
ラリーの母親はユダヤ教徒。
父はテクノロジーを信奉していた。
ラリー「僕は本当にラッキーだった。父親がコンピュータサイエンスの教授で
小さいころからコンピュータが家にあったからね」
ラリーは小学一年生でタイピングができるようになっていた。
何年後かにはコンピュータ分解しはじめた。
高校を卒業する前に、インクジェットプリンタを組み立ててしまった。
大学の時に手持ちサイズのコンピュータをもってきて驚いた(まだ誰も見たことなかった)
●サーゲイ 6歳でアメリカに渡り、十代の頃から常に注目される
サーゲイの父は数学教授、母はNASAで勤務。
サーゲイは普通の子供でしたが、コンピュータを触るのが好きだった。
6歳の時に両親に連れられ、ソ連からアメリカへ移住した。
●スタンフォード大学コンピュータサイエンス学科で
ラリーの進めたい研究プロジェクトに
サーゲイが関わっていた。
2人が象牙の塔にこもっている間、
Netscape社が上場後一気に30億ドルの価値がついた。
スタンフォードのコンピュータサイエンス学科には
金のにおいが充満するようになった。
ゲイツ360号室(40m)
●ウィリアム・ゲイツ・コンピュータ・サイエンスでのラリアンサーゲイ
1996年1月、ラリーとサーゲイは新しい部屋に引っ越した。
ビルゲイツはスタンフォードの出身ではなかったが、
この大学の卒業生を多く採用しており、
優秀な人材に来てほしいと願っていた。
彼の名前を冠した建物があり、
ラリーとサーゲイはゲイツ360号室で一緒に過ごすようになった。
●穏やかなラリー、情熱的なサーゲイ
ラリーは当時、自動交通システムのことをよく考えていた。
モトワーニ教授は2人について以下のようにとらえる。
サーゲイは、実践的で問題解決に長けたエンジニアで、
数学的な思考をし、素早く、社交的でもあった。
ラリーは、物事を深く考えるタイプ。
どうして物事が動くのを知りたがった。
ラリーは当時最新のアルタビスの検索エンジンを使い、
リンクの解析を行えば何かを突き止めらると考えていた。
周囲からはバカにされたが、情熱を全く失うことなく、
本気で取り組んでいた(使命感すらもっていた)。
ラリーは引用が大事だと考えていた。
2人が育った家庭では、研究論文が多くあったが、
必ず引用がついていた。
ノーベル賞を取るような論文は、1万もの論文に引用されている。
ウェブサイトも同様である。
沢山のリンクが張られていれば、重要なサイトだ(ページランク)。
2人は次世代の検索エンジンを作ろとしているわけではなく、
興味が引かれる問題を解決しようと努力していただけで、
それを続けていく中で、素敵なアイデアに出会った。
1977年秋、検索システムに名前を付けようと思った。
何日も決まらなかったが、「グーゴルプレックス」という案がでた。
巨大なデータという意味だが、それを「グーグル」に短くした。
正しいスペルのグーグルは使われていたので、
あえて一文字違いで名前をつけた。
デザイナーにお金を払う余裕もないため、グーグルのサイトを
シンプルなままにしておいた。
このクリーンなイメージは、多くの人を魅了した。
しかも無料で何も取らないというイメージがあった。
データベースユーザが増えるにつれ、多くのマシンが必要となったがm
中古で買いあさって、自分たちでつなぎ合わせた。
小さいことから、どんな大きなことも成しとげることができるか学んだ。
この経験が2人の大きな財産になった。
当時検索シェア50%以上を持っていたアルタビスタに提案したが、
それは承認されることはなかった。
※アルタビスタの説明を受け、グーグルはとてつもなくすごいという自信がわいた。
ヤフーもグーグルの検索機能を見送った。
グーグルは瞬時に検索したいページに飛ばすことを設計していたが、
ヤフーはできるだけヤフーにとどまってもらい、ショッピング等に誘導するような設計だったからだ。
2人はさらにグーグルに専念することを決心する。
グーグルフレンドへ、検索結果に満足しているか?
デザインはどうか、意見を伺いたいとメールを送りまくる。
自分たちが世界を変える(30m)
●シリコンバレーの天使がくれた10万ドル小切手
1998年8月、コンピュータの天才、投資家のアンディ・ベクトルシェイムに会う。
彼が投資するビジネスは次々と成功を収めていた。
ラリーとサーゲイの話を聞いたとき、
シェイムは疑問を持った(アルタビスタでさえ赤字を抱えていたからだ)。
シェイムは独自の判断基準を持っていた。
1.自分も納得できる現実的な問題を解決しているか?
2.実際に利益を生み出すビジネスになりうるか?
3.創業者が優秀で情熱的で有能であるか?
シェイムは素晴らしいアイデアに共感をいだいたが、
利益を生み出すという点で2人議論した。
はじめに無料で提供してユーザーを集めたら
その後、広告をつけるか商品を販売して利益を出す。
2人はこれに対してあからさまな嫌悪感を示した。
広告は検索結果を腐敗させてしまうと。
シェイムはまだ会社の設立すらしていなかった
グーグルに小切手で10万ドルを切った。
サンマイクロシステムズが設立間もないころ投資家から
その場で小切手を切ってくれた話を忘れたことがなかった。
それと同じことをこのグーグルで行いたいとおもった。
2人もやっと評価されたと自信を持つことができた。
1998年9月、スタンフォードのアリソン教授から依頼され
グーグル検索エンジンについて話すことになっていた。
2人は堂々と語った。
アリソンは桁外れの人間だと感じた。
最も感嘆したのは、2人が自分たちは世界を変える、
大胆な夢をしっかり持ち続けていることだった。
2人は金儲けではなく、ヴィジョンに突き動かされていた。
より良い検索結果を出すには、コンピュータの能力が不可欠。
コンピュータに対して誰も行わなかった大きな投資が必要である。
ソフトとハードが互いに結びついているのだから
両方を一番良い状態で使いこなすことが必要。
二大ベンチャー・キャピタルからの融資を獲得(30m)
●ガレージから起業
1998年の秋、スタンフォードを休学し、世界最高の検索エンジン完成に専念することにした。
近くにスパ付きの家を借りて、自分たちのコンピュータや装置をガレージに運び込んだ。
家賃は1500ドルだったが、1700ドルを払い、公共料金などを込み込みにした。
9月7日に正式にグーグルを設立した。
初めての銀行口座を開設し、シェイムの10万ドルの小切手を預けた。
スタンフォードの仲間をクレイグ・シルバスタインを最初の社員として雇った。
24時間ほとんどそこで仕事をした。
どうやって稼ぎだすかまだよくわかっていなかったが、
人々が求めている情報をコンピュータ上で早く見つけられるようにする
この情熱に駆られていた。
それがどんな時も2人の最大のモチベーションだった。
インターネットの検索こと最も重要な長期的な課題であり、
それを自分たちは解決できる、
それができれば多くのユーザーを呼び込むことができる。
それをひたすら信じて検索エンジンの開発や改良に取り組んだ。
2人は工面した金のほとんどをコンピュータハードの増設につぎ込み、
時間のほとんどを才能ある人材の獲得に努めた。
新しい仕事場でまもなく授業員が8人になった。
日々増える検索結果に奮闘していた。
2人にこたえたのは、お金の問題だった。
1日50万件の検索数が増えると、まとまった資金を投入しなければならない
とういうのはどう見ても明らかになった。
グーグルは何の利益もあげていなかったが、
株式公開して資金調達するのも一つの手だった。
しかし、自分たちで会社を運営できなくなるようなことは避けたかった。
上場するということは、会社の秘密や経営方法を明かすことである。
2人はそんな気は全くなかったし、お金は検索エンジンの開発分だけ
十分だと考えていた。
企業に対して、グーグルの技術ライセンスを提供をはじえめたが、
検索は重要度の低いものとして考えられていたため、
お金を出してもらうのは至難の技だった。
しかし、外部からの巨額現金がどうしても必要だったため、
ベンチャーキャピタルを研究した。
会社の経営権を手放さずに、ベンチャー企業から資金調達する、確固たる決意をしていた。
これまで沢山の会社が次から次へと自らの運命を自らの手で
決めることができなくなっていった過去をしった。
その中で、クライナー・パーキンズ・コーフィールド・アンド・バイアース社と
セコイア・キャピタル社のハイテクに精通したキャピタル企業に接触。
資金提供しつつも、経営権に手を出すのはやめてもらうという条件。
1999年の春、2社とも資金提供するとこになったが、
厄介な問題も発生した。
2社は一緒にグーグルに投資るのを拒否しており、
どちらか一社にしてほしい(どちらもグーグルを支配したいと考えていた)。
両社を失う可能性もあったが、両方投資してもらえれば、経営権を手放さなくてもよいと
考え(両方失う可能性もあったが)、その道に進んだ。
これらの投資家がハゲタカと言われるのわかる気がしてきた。
中々商談が進まない中、コンウェイとシュリラムに相談し
上手く2社をまとめてくれた。
それぞれ1250万ドルずつ投資してもらい、
かつ、ラリーとサーゲイが過半数以上の株を持つ。
ただし一つだけの条件として、この検索エンジンで利益を上げるための
経験豊富な業界幹部を雇うこと。
2人はそれを承諾した。
1999年6月7日、スタンフォードを離れて一年もしないうちに、
2社の巨大キャピタルが出資したとプレスリリースをした。
しかも経営権は2人にあるとして。
しかし、どうやって稼ごうとしているかは未知数だった。
グーグル・ドゥードゥルの誕生(20m)
●バーニングマン
1999年8月の終わり、2人はバーニングマンを目指してた。
2人は霊的な好奇心を掻き立てられずにはいられなかった。
社交的な場であるとともに、自分自身を見つめる場でもあった。
ここはヌードの男女もいれば、ドラッグも簡単に手に入るなんでもありの場所だった。
バーニングマンに警察の監督が及ぶことはないが、
守らなければならない規則がある(売買は一切禁止)。
砂漠の環境を損なわずに帰ることも基本事項だった。
「バーニングマンは一つの町をつくり、そこに人が住み、
そしてまた誰もいなくなるという社会的な実験です。
そのことが、このイベントの最大のパフォーマンスアート作品です。
何も残さず立ち去るというアートです。」
グーグル・ドゥール(いたずら書き)を知らないうちに完成させていた。
Googleのロゴに色々書いてみる。
今は全員バーニングマンに行っていますと示したりした。
バーニングマンに行き何かを偶然に体験したいと思っていた。
多くの人にとっては、酒やドラッグを大量に飲むことだったが、
2人にとっては、エネルギーや発明の才に酔うことだった。
後にグーグルの本社にバーニングマンの写真が貼られる。
サーチエンジン・ウォッチ(30m)
●「検索のグル」ダニー・サリヴァン
30歳の新聞記者ダニー・サリヴァンはグーグルフィーバーを最初にキャッチした。
サリヴァンは他の検索と違うグーグルに注目していた。
グーグルガイは、自分たちの理念(邪悪になるな)を失わずに
会社を存続できるか必死に考えていた。
出した結論は、方針の転換だった。
企業へのライセンス契約はやめる。その代わり、
グーグルユーザーに、広告主が商品やサービスの購買を直接呼びかけても良いようにする。
そして自分たちはその広告料をもらって利益を上げよう。
ごく控えめな、しかし目的の明確な広告を企業に出してもらう。
当時検索広告としてはやっていたのが、オーバーチェアだった。
しかし、グーグルガイはこのやり方には不快感を示した。
追加で料金を払えば、Webサイトに沢山表示させる。
この企業のやり方を研究して、自分たちでできるようにしようと
固く決意した。
新しいビジネス戦略はシンプルで、今まで通り無料でグーグルを使ってもらい
利益は広告からとるというもの。
ただし重要なのは、どの情報もすべて平等に扱うということ。
「どんな時でも、うんざりするほどはっきりしていたのは、
自分たちは正しいことをするんだ、と二人が真剣に考え、
熱心に取り組んでいたことだ。」サリヴァン
広告のサイズや字体も厳しい基準を設けることにし、
検索結果と広告を区別するために、スポンサーリンクと表示することした。
グーグルの潔癖さは利益を生めるのか?
2000年12月にはこのような記事もだされた。
「グーグル」が動詞になる(30m)
グーグルガイは2000年にITバブルがはじけても、
完全に攻めの姿勢で臨んでいた。
解雇されたエンジニアを積極的に採用をしていた。
また、当時マイクロソフトが独占禁止法に違反すると判決がくだり
イメージが良くなかった。
そこで「邪悪になるな」というグーグルの企業理念と
シンプルな検索サイトのイメージが良くなりどんどん発展していった。
アフィリエイトにも乗り出した。
「グーグルのアフィリエイトプログラムに登録いただくと
ご自身のサイトにグーグルの検索ボックスを置くことができます。
検索1件に対して3セントお支払いします。
これは私たちの感謝の気持ちです」
2000年6月26日、ヤフーと契約を結んで、
グーグルの検索エンジンをヤフーが使用することに。
これで一気に注目度が高まり、世界中の注目を集めるようになった。
これは非常に大きな出来事だったとしている。
2001年初頭までに、グーグルは1日1億件という驚異的な検索数をこなすように。
1秒当たり1万件である。
イスラエルの投資家 ヨッシ・ヴァルディと
エリック・シュミットの経験豊富な事業経営者が
グーグルの売上と収益を爆発的に伸ばした。
2001年にはグーグルは創業以来初めての年間黒字を出した。
利益は早計700万ドルに達していた。
操縦士エリック・シュミットの参画(20m)
シュミットは2001年1月に正式に契約をかわした。
グーグルガイと衝突はさまざまあったが、
社員が使命感を共有していて
素晴らしい可能性があることは認めていた。
シュミットの仕事はそのヴィジョンに枠組みを与え、
具体的な財務成果を生み出す機会をできるだけ多く作り出すことだった。
AOLと提携(20m)
グーグルガイとシュミットはAOLとの提携で
激しく議論した。
資金がまだ乏しいグーグルでは、失敗したらつぶれる可能性があるため
シュミットはかなり慎重だった。
しかしグーグルガイはリスクより、可能性を信じ突き進もうとした。
すでに既知のことだが、グーグルガイはまだ若者で未熟であり
経営としての戦略はとれていないことがわかる。
シュミットが参画して本当に良かったのだなというのがわかる。
2002年には売上4億4000万ドル、利益1億ドルへ。
検索エンジンから生み出しており、すべてクリックからもたらされた。
アフィリエイトサイトも莫大な利益になっていた。
グーグル経済圏(10m)
グーグル経済圏は他者企業にも大きな影響を与えるようになっていた。
20パーセント・タイム・ルール(25m)
クリシュナ・バラッドはインド出身のグーグルエンジニア。
自称「ニュース中毒」。様々な新聞を読んでいた。
ある出来事を理解するのに、検閲や文化事情が時に妨げになる。
出来事を真に理解したいなら、複数の情報筋に当たらなければならない。
グーグルの文化
ソフトウェアエンジニアは、どんなことでもいいから、
自分が興味を持つプロジェクトに、少なくとも
勤務時間の20パーセントを、もしくは1週間のうち、1日を費やすという規則。
「20%タイムは、探求する、という目的の為だけに考え出された」
人間が生産的になれるのは、自分にとって大切なことや自分が考え出したことを
行っているとき、つまり、情熱をもっていることに取り組んでいるとき。
バラッドは、ニュース好きが講じて、
グーグルニュースをリリースさせた。
後に、できるグーグルアラートもそこからきている。
クレイグ・ネヴィル=マニングはECサイトに興味があった。
アマゾン等を分析し、試作品を作った「フルーグル」。
現在はグーグルショッピングとして提供されている。
全世界に広がるグーグル(15m)
アジアにもさまざまな地域にグーグルはなくてはならなくなっている。
Gメール論争(25m)
2004年春、Googleは順調だった。
そんな中、従来とは異なる電子メールでアッと驚かせようと考えていた。
そのうえで、課題を洗い出した。
ライバル社より、高性能で、使いやすく、安価で、卓越したものにしようと工夫した。
Gメールのアカウント一つにつき、1ギガバイトの保存容量を無料で提供する計画をたてた。
これは、マイクロソフトの500倍、ヤフーの250倍に相当した。
プライバシー問題。
グーグルがこのGメールのアナウンスをすると
(メールの内容に沿った広告を打つ)
ものすごい批判が起こった。
さすがアメリカという感じもするが、
州の法律で反Gメール法を制定すると脅す政治家がいたり、
ウォールストリートジャーナルにも非難されたりした。
グーグルガイにとっては、全く予想だにしない出来事だった。
アメリカでも新サービス(特に大きく利益を得れそうなもの)には
それに対する反対運動なるものがおきるんだなぁ。
そのような波と戦っていたという歴史に驚いている。
ポルノ・クッキー・ガイ(10m)
グーグルの検索結果と広告に現れるポルノサイトを消去するという
戦いを起こしていた(担当はマット・カッツ(元国家安全保安局))
グーグルとしては、不定期な広告は載せないとしているが、
アダルトサイトの検索数は1日に何千万件とあり、
実際にはアダルトサイトの広告で大きな利益を上げている。
ウォール街を震撼させる株式公開(10m)
グーグルガイはなるべく株式公開を先延ばしにしたかった。
なぜなら、経営状態やどれだけの利益を上げているかを公開しなければいけないからだ。
※連邦法では、一定の資産と株主を保有する会社は決算報告の義務がある。
(ちなみにグーグルはすでにその上限を超えていた。)
グーグルガイは、株式公開によって手にする数十億ドルには興味がなかった。
それより、今までの生活が変わり、家族にも変化を及ぼすのを恐れていた。
一般的には、上場して大きな富を得ることで箔がつくと考えられるが、
二人は全く逆の考えかただった。
株式公開の唯一の利点は、ビジョンを実現させるための資金が集まることだけだった。
二人はこれまで誰もやったことのない株式公開をしようと決意していた。
今までやっていないことをやるのに、全くひるむことではなく、むしろ当たり前だった。
今までのウォール街のやり方を気に食わないと考え、
仲介会社の手数料を半分にし(一般株を多くした)、
より広くグーグルの株を買ってもらえるようにした。
そしてついに株式公開(25m)
株式子会にはさまざまなトラブルがあった。
大手自動車保険会社ガイコから訴えられたり、
ドイツ企業や、他でも広告による損害を被ったとされた。
しかも、グーグルの売上がほぼ広告から成っていることが明らかになり、
マイクロソフトやヤフーが検索に力を入れてきて奪われる可能性もあった。
今後、グーグルが成長していくには、この検索シェアを維持し
広告が増やせるかにかかっていた。
一番の懸念事項は、ヤフーが子会社化したオーバーチェアがグーグルに対して、
10億ドルの訴訟を起こしていることだった。
グーグルの広告システムのすべてが、オーバーチェアが所有するシステムの
特許権を明らかに侵害していたとのこと。
これを解決するには、巨額のライセンス料を支払うことだった。
これはグーグルにとって非常に痛いことだった。
結局グーグルはヤフーに270万株を与えて起訴を取り下げさせた。
色々な問題があったが、それらを乗り越えついに株式上場を果たした。
過去最大の新規株式公開を成しとげた。
グーグルは腹ペコだ!(15m)
会社立ち上げのとき、社員はまだ12,3人だった、
そのときからサーゲイはチャーリー・エアーズに会社のシェフとして働いてほしいと説得。
健康的な食事をつくれれば、他の会社との差別化になると考えていた。
エアーズは、熱狂的なおっかけで、グレイトフルデッドの料理を作っていたこともあった。
1999年1月17日に採用されたエアーズは、グーグルの56番目の社員となった。
この時、エアーズは33歳でグーグルでは最年長だった。
社員のほとんどが20代だった。健康的な料理を会社で無料でだすことで、
社員たちはいつも会社にいてほしいとおもった。
花の金曜日にはパーティをやった。
そこでの新入社員の紹介をして、コミュニケーションの場となった。
ライバル社との戦い、そしてグーグルの内情(20m)
2004年秋、悪い知らせをグーグルガイは受けた。
AOL社のヨーロッパインターネット事業において、
ヤフーがグーグルを打ち負かして独占的なプロバイダになったとのこと。
グーグルガイはヨーロッパに何としても食い込みたいと考えていたから
状況を逆転させるしかないと、決意した。
ヤフーはここ数年、ヨーロッパのAOLユーザー(360万人)に対して、
さまざま広告を提供していた。
ヤフーとの締結がほぼ決まっていたが、
グーグルガイは我々と契約すれば莫大な利益を約束すると伝言し、
これから向かうので、何時にどこでお会いできるか教えて頂きたいとも伝えた。
サーゲイ負けず嫌いで強い意志を持っていた。
人を説得させる、ビジネスを締結させる才能を持っていた。
彼の今の最大の役割は、ヨーロッパでグーグルの名前を売ることだった。
ひそかにAOL幹部と落ち合ったグーグルガイは、これまでつけたことのない
破格の利益とノーリスクを約束する提案をした。
AOLはもはや交渉の余地はなかった。
AOLはヤフーにもグーグルの話をし、
公平に二社による入札を提案したが、ヤフーは怒ってしまい拒絶した。
グーグルは巨額の支払いはあるが、長期的には必ず利益を生むという自信があった。
これによって、グーグルはヨーロッパ全域のPCユーザーを手中に収めた。
商標使用権をめぐる裁判(10m)
ガイコ対グーグル
ガイコの訴えは、ガイコのライバル企業がガイコの所有する商標を使って
広告を出すことを許して、そこから利益を得ているということだった。
「ガイコ」とい検索すると他者がガイコの商標を利用した広告が出てきてしまい
顧客をとられてしまっているということだった。
ヤフーは商標保護された社名を他の企業が広告で使うことは許可していなかった。
しかし、グーグルの意見はユーザーが使用を決めるのであり、
広告の制限をしてユーザーの利益を害することはしないとしていた。
グーグルはこの訴訟に勝利した。
これによってグーグルは会社の広告方針の正当性を保証した。
図書館デジタル化プロジェクト(15m)
ミシガン大学の図書館は、約700万冊の蔵書をもつ
アメリカ最大の図書館の一つだった。
またラリーにとっても、ミシガン大学の学部正だったときに
良く通った場所でもあった。
彼の頭には、未開発のデータの山を探してた。
その山をデジタル化してオンライン検索を行えるようにしようと考えていた。
その計画を実行する上で、この図書館は最適と思えた。
21世紀が新に情報の時代になるのであれば、
インターネットはさらに開拓されなければならないと認識していた。
グーグルはすでに何十億件というドキュメントを保存していたが、
真に本格的な情報を導き出すためには色々と時間がっかった。
そこでミシガン大学に大胆な提案をする。
2002年、ミシガン大学の図書館の本すべてをスキャンし
その情報をグーグルインデックスに登録することで
より多くの人がどこにいても瞬時にアクセスすることができる。
それをさせてもらえるなら、その費用はすべてグーグルが持つ。
2004年10月初頭、世界中の出版業界の重要な年次総会で発表した。
最新の検索ツール「グーグル・プリント」
2004年12月14日グーグルはようやく1500万冊の本をデジタル化する
計画を明らかにした。
クリック詐欺(10m)
レンディングエキスパートコムの創業者、コーエンは
グーグルの広告がおかしくなっていることに気づいた。
住宅ローン申し込みをインターネット上で行っている会社は、
検索エンジンに広告を載せ続けることが必須だった。
しかし、ある時から、明らかにコンバージョン率
(クリックされてからの成約率)が減少していた。
調べると同じIPアドレスから何回も広告がクリックされいた。
これではグーグルへの広告料が高くなってしまう。
コーエンはグーグルに、相談した。
グーグルは親身になって対応したそうだ。
今後も、クリックはグーグルの収益源になるため
クリック詐欺が増えそうだが、その対応が大事となる。
マイクロソフトを攻撃する(10m)
ビルゲイツは、「われわれは、あの若者たちを警戒しなければならない。
我々のビジネスと競合する何かをつくろうとしているようだ。」
初の株主総会-株価は急上昇(10m)
グーグルの株は買いだ。投資家たちの間でそのような認識になってきた。
グーグルの広告モデルが素晴らしいと。
TVや新聞なども広告でかせいできたが、
それが同じようにインターネットでも起きようとしていた。
この頃、グーグルのアドセンスが流行っており、
いたるWebサイトで「Ads by Gooooooogle」と記載されていた。
グーグルは、世界中から集まった最高の人たちにモチベーションを与え、
彼らを会社にとどめておくことに力を入れている。
グーグルはまだまだ伸び続けると、株価は300ドルを超えていた。
中国市場を制する(10m)
2005年からマイクロソフトはグーグルに対抗するための措置を取り始めた。
マイクロソフトの第一の目標は、グーグルに流れる人材を止めること。
給料を上げてもなかなか止めることができない。
止めることができないとわかると、ゲイツとバルマーは
グーグルをつぶすという方向に考えるようになった。
中国市場のにも入り始めた。
遺伝子をグーグルするーそして未来へ(10m)
グーグルガイは、科学と医学とテクノロジーを融合させて
グーグルを生物学と遺伝学の分野へ進出させるという長期的な計画がある。
様々な分野へ役立てたいと2人は考えている。
いつか、脳にやくだてたら面白いかな。
感想
グーグル誕生をの所要
ページ数 458P
読了時間 540分(9時間)
※ブログ記入しながら
読んでの感想は、グーグルは戦略的というより、
2人の好奇心から大きく広がっていった会社であったということ。
そして、こだわっている理念「邪悪になるな」
これがユーザーファーストになり成功した要因かもしれない。
そして、戦略ではエリックシュミットが入ったおかげで
成功したと思われる(2人の天才ガイを扱うのは苦労しただろうな)。
もう一つの企業文化、20%タイム(自分の時間を好奇心に費やす)は
非常にユニークで素晴らしいなと思った。
没頭することで幸せな時間と向き合えただろうなと思う。
グーグル就職してみようかな。
どんな企業文化かすごい気になる。